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あんまり、特撮ドラマ自体の話には参加できないのですが、仮面ライダーWのフィリップを見て少し思ったことを。
彼のユーザーインターフェースは、図書館というアナログとデジタル検索の融合ということで、興味深く見させてもらってます。
その前に、現実やSFなどでのコンピュータの使われ方を振り返ってみたいと思います。
最初は、モニターすらなく、ランプが点灯し、入力は紙テープなど、出力は紙に印字などでした。ウルトラマンでも、コンピューターが出力した紙テープを直接読むなどの、超絶描写が見られました。さすがにそれは読めないって(笑)。
モニターが出現すると、いわゆるテキストベース(CUI)になりました。実際のコンピューターではコンピュータの文法、つまりコマンドを覚えるのが大変でしたが、SFにおいては、恐るべきことに自然言語で命令可能で、しかもコンピュータの返答も自然言語ながらコンピュータっぽい感じでした。神前言語が理解できたら、それはもはや高性能AIです。
さらに、84年にグラフィックベースインターフェース(GUI)のアップル社製マッキントッシュが出現すると、SFでも徐々に変わります。文章で回答していたコンピュータが、モニターにグラフィカルで一目瞭然な画面を表示し、テキストは添え物になっていきました。ちなみに、マイクロソフトは84年に同社最初のGUIのWindows1.0を開発してますが、マッキントッシュに追いつく基礎が作れたのは、私個人の見方では、Windows95で、実に10年以上もかかっています。いかにアップルのコンピュータ文化が優れていたかが分かります。
それでも当初は一画面に一つの情報でしたが、パソコンの画面が大きく高密度になっていくと、現実にもSF的表現でも、いくつものウインドウが開くようになります。SFでは、次々に素早くウインドウがかっこよく開くなんて描写が出てくるようになりました。
何せ日本では長いこと、640×400ドット、640×480ドットになると「おお、大きい」なんて言ってました。今では最低でも、1024×768です。これすら、もはや古臭いくらいです。
あるいは、SFにおいて携帯する端末は、パームトップの影響もさることながら、携帯電話の爆発的普及で掌サイズになりました。画面の小ささは問題で、掌サイズの機器で大画面を表示する工夫は、ガンダムOOなんかにも見られます。
それも表現的に飽きられてきて、先進性が感じられなくなってきたので(だって自宅のパソコンで見慣れちゃってますから)、アナログ的である本を描写に取り入れたのがWのフィリップなんでしょう。全く理解不能なユーザーインターフェースでは分かりにくいので、回帰したのかなとも感じます。まあ、とにかくかっこいいことに変わりはありません。
ただ、辞書的、百科事典的情報というのは、もはや紙の書籍は向いてないように思います。分かりやすい例が電子辞書。あれに入っているコンテンツを書籍で持ち歩くことは、現在ではもはや不可能です。上位機種だと本棚一つくらいあるわけですから。それに調べたい項目にたどり着くのも便利です。先頭の数文字を入れれば、あとは選ぶだけ。紙の辞書を一生懸命めくっていたのとは、大変な効率の差があります。パソコンの辞書や事典ならコピペもできますしね。古臭い英語教師は、生徒に紙の辞書を強制したりすることが、あるようですが、私は「紙の辞書有害論」と極論しています(^^;。
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